6月1日が写真の日だったそうで、初めて知りました。
それとは関係なく、たまたま最近考えたことがありました。
ものすごく簡単に計算すると、だいたい、ざっくり、このまま今のままのペースでいまのフィルムカメラで撮る写真は、私が60歳代かたぶん70歳手前くらいに、1万枚になるようです。
『写真が上手くなりたいならまず1万枚は撮りなさい』などたまに聞きますが、それが70歳くらいでやっと達成、というかスタートラインなのかな?
なかなか途方もない話ですね。
とはいえデジタルカメラなら1万枚はすぐに達成できるでしょう。
フィルムで、1本12枚しか撮れない私はむしろ死ぬまでに1万枚を達成できる可能性があることにびっくりしました。
ひたすら撮った写真は今のところほぼ全部プリントしています。どんどんたまっていくので保管に困りますが、それもたのしい。このままずっと溜めていって、70歳くらいになったときに1万枚の写真の束を見るのはどんな感じだろう?上手くなっているかどうかはわからないけど、それなりに感慨深い気持ちになるんじゃないだろうか。期待しすぎかな?どうだろう?
そこまで考えたときに一青窈さんの「大家(だーじゃ)」という歌の一節を思い出しました。
なんてひどい人生
同じことを くりかえす
美しい人生
ずいぶん前の歌ですが突然思い出しました。
そしてこの歌詞から今度は幾何学のフラクタルを連想しました。
似ている小さな図形が集まって、それと非常に似ている大きな集合を作る不思議な図形です。
平凡な、いつも変わらないようなひとつひとつを積み重ねるだけのことは、なにかとてもつまらなくて価値のない酷いもののように感じます。いつまでも変わらないことに辟易しそうになります。
でもそれはもしかするとそのときの断面を捉えているだけで、
本当は同じだと思ったひとつひとつは ”同じ” ではなく ”似ている” 個別のひとつひとつかもしれません。
歩き続ければ周りの風景が変わるように、
”同じこと” の気づかないくらいの小さな差異が、少しずつのずれが、たくさん集まると大きくて予想もしなかった面白い風景になっているかもしれません。
どうだろう?わからないけど、とりあえず私は1万枚の写真の束を見るのは楽しみです。
それまでカメラも私も健康でいなければ。
それまでインスタは続いているといいな(笑)