どうして創作をしているのか。
ちょっと考えてみました。
いま私は写真を撮って、それを加工して、他の人に見てもらえるようにしています。
写真を撮るのが好きだからというのもありますが、いろいろやってみた結果、たまたま写真に行きついてたまたまちょっと向いていそうだし楽しいからやっているというだけで、特別にうまく出来るというわけではありません。
写真に行きつくまでは、楽器をやったりちょっと絵に挑戦してみたり、文章を書いてみたり小物を作ってみたり、ちょこちょこいろんなことをしてきました。
色んな事を試して自分にしっくりくる方法を探していました。
さて、何のために ”方法” を探していたのでしょう?
思えばこどものころから何かを表現したいという気持ちはあった気がします。
でもその方法がわからずに焦って、イライラして、もどかしかったような気がします。
自分の感情をうまく言葉に出来ないときにとても歯がゆい気持ちになると思いますが、たぶんそんなものに似ているんじゃないかと思います。
なにかの方法を探しているうちに、”方法”を探すということだけ残って、その ”方法” を楽しむのに忙しくて、なんのためなのか忘れてしまいました。
忘れている、ということを最近思い出しました。
何のための ”方法” だったのか。
もしかしたら、自分のための絵本を作りたかった、という気がします。
絵本というのは、たまたまそういうパッケージがしっくりくるからそう言っているだけで、自分の想像のなかの風景や食べ物や部屋、そいういうものが手の中に欲しかったという気がします。
それをずっと眺めていたくて、そのための方法を探していたという気がします。
思えば写真を使っての創作を始めた当初は、写真絵本と言ってやっていました。
無意識でしたが自分の根っこに近いものを追っていたのかもしれません。
そしていま、このことを思い出したので、また少し意識してやってみようと思います。
何のためだったのか、がやっぱり違うと思ったら、また変えればいいですし。
いままでやってきたことが劇的に変わることもありませんが。